「徳」って現代語訳できますか?
本日は、
「徳」
について、古代中国の兵法書「呉子」を引き合いに書いてみようと思います。
「兵法書なのに『徳』?」
ってなりませんか?
また、「徳」という言葉自体、現代語訳が難しい言葉として知られています。
とりあえず今回は、
「徳がある人」=「人格者」
と仮定して読んでいただければ幸いです。
仕事であまり関わりたくない人と関わらざるを得ない状況になった場合
さて、一般的に「徳」とは上に立つ者が持つべきとされています。
身近な「上の立場の人」といえば、職場の上司がそうかもしれません。
しかし、上司が全て「徳」を兼ね備えているかといえばそうでもないというのは、社会人経験を積み重ねていけば気づいていくもので。
まあ、個人的には、そういう人間が隣にいても、
「どうせ
- いつか
- どこかで
- 誰かに
蹴落とされてしまうだろうな」
と思っていますので、さほど気にしませんが、自分の上司や部下ともなると、まあ、頭を抱えてしまうもの。
あまり関わりたくはないけれど、放っておくと彼の暴走に巻き込まれかねないので、やむを得ず牽制だけはしておきます。
「お互い、あまり関わらないようにしましょう。」
という意思表示です。
上から目線で申し訳ないけれど、
「今回は巡り合わせが悪かった。
「仕方ない。
「お互い評価を下げましょう。
「次に会うときは仲良くできるかもしれません。
と、思うことにしています。
正直、そう思わないとやってられないというのが実体験者の談(笑)
いや、本当にどこにでもある話です…。
「徳」とは~呉子の四徳~
気を取り直して。
職場で尊敬できる人と言えば、やっぱり「徳」がある人かなと思います。
「徳」
先程も言いましたが、現代社会では、あまり聞かない言葉で、意外に直訳が難しいとされています。
私も正直、色々読んだが、わからないというのが本音。
「四徳」
という言葉があります。
- 道
- 義
- 礼
- 仁
の四つですが、「呉子」によれば、為政者がこの四つの徳を行えば、国は栄え、行わなければ衰える、といいます。
「呉子」では、それぞれについて解説していますので、今日は、そのあたりを学んでみましょう。
まず、白文。
呉子曰、夫道者所以反本復始。
義者所以行事立功。
礼者所以違害就利。
仁者所以保業守成。
さて、訳してみましょうか。
あ、専門家ではないので、間違っていたらごめんなさい。
「呉子は言った。
- 道は、始まりに帰るためのゆえんである。
- 義は、功績を立て、偉業を成すためのゆえんである。
- 礼は、害を避け、利益にありつくためのゆえんである。
- 仁は、達成された偉業を保つためのゆえんである」。
…わかるようでわかりにくい。
なので、道とか義とか、「四徳」とやらを私なりに砕いて解釈してみましょう。
- 森羅万象の法則を学び、その法則に則った行いを続けることは、あなたに初心や原理原則に立ち返る機会をくれるでしょう。
- 大勢の人が納得することをすれば、偉業は達成され、人々はあなたを讃えることでしょう。
- 作法を遵守することで、余計な波風を立てず、本来もたらされるべき利益を確定させることができます。
- 他者に対する優しさは、あなたが達成した偉業を保ことに繋がるでしょう。
少しは、意味がわかる文章になったでしょうか。
では最後に、これをネガティブに解釈したいと思います。
すると、教訓のような文言になり、もう少しわかりやすい文章になります。
- 森羅万象の法則や、人々の感情など、様々なことに逆らう行為を続けていると、そのうち自分自身何をやっているのか訳がわからなくなり、本来の目的を忘れて自滅するものです。
- 大勢の人が納得できないようなことをすれば、人から支持を得られず、他人の力を借りることもできないため、大業成就は無理でしょう。
- 礼儀作法がなっていない人には、いつも余計な揉め事がくっついてきて、そのため得たはずの利益を容易に失ってしまうものです。
- 他人に対して優しくできない人は、例え成功したとしても、周囲の支えがなく、いずれ転落の時が来るでしょう。
一度読んだだけではしっくりこないかもしれませんが、何回か読むと、「呉子」において「徳がない」とはどういう人を指すのか、何となく腑に落ちませんか。
皆さんの上司は「徳」のある人ですか?
そして、あなた自身、将来、どんな上司になりたいですか。